人が不安になるのは、この思考の性質、性(サガ)、宿命によるのである。そのため、ブッダの弟子たちは、思考を制し、その先にある境地へと自分を導いたのだ。
多くのメンタルの病の根源に不安があることはよく知られている。もちろん、不安には個人差があり、強い不安も、弱い不安もある。しかし、誰もが不安を持つ理由は、今に留まれない意識に本当の原因があるのだ。そこまで気づき、改めて自分の意識のパターンを振り返ってみると、いつも決まって同じ事を繰り返してきたことに思い当たるのだった。
それは、おいらは小学校の頃より学校が嫌いだった。早生まれで体が小さく、運動神経も悪く、自分の身体でありながら、言うことを聞いてくれないポンコツの自分が嫌いだった。食べることもまた嫌いだった。何を食べてもさほど美味しくなく、あげくの果てには、目の前の白いご飯を前に、ふとなぜこんなものを食べているのか疑問になった。
小学5年の夏の日のことだった。思考が本能を打ち負かし、食べるという行為自体に意味を求めだした。こうなると、思考は空想の世界を漂い続けるようになるばかりで、現実の世界よりも、空想の世界を好んだ。
やるべきこと、例えば、宿題やら嫌いな勉強など、日々の現実を処理できなくなると、ますます空想の世界に逃げ込むようになった。自分にとって何か嫌なことがあると、それは自分に非があるのではなくて、周りの世界が悪いか、または誰かのせいにすることで自分を救い出すようになった。
すると不思議なことがおこるようになった。なぜかいつも周りに嫌な人や意地悪な人たちがくり返し現れるようなった。そこを逃げ出してもその先に、嫌いな人たちがいた。おいらは、いつも苦手な人たちの世界から逃げ出すことができなかったのだ。それは大人になるまで続いた。
しかし、この瞑想は一つの気づきをおいらに与えてくれた。
それは、自分の現実は、実は自分がつくり出してきたという気づきだった。そこに気がつくために必要なことは、すべての出来事は、自分がつくり出しているという事実を受け止めることだった。現実を処理する能力が低いので、実際は仕事ができないのだし、それは学校が悪いのでも、会社が悪いのでもない、自分の力が足りなかったのだ。
しかし、おいらはいつも、自分はやればできるし、こんなところにいるような人間ではないと、思い込んでいた。しかし、実際は、今いる所こそ自分にふさわしい場所だったのだ。おいらに不足していたのは、現実をありのままに受け止める、力、「受け止め力」だった。
そこに気がつくと、過去でも未来でもなく、今に自分を引き戻せるようなっていった。
自分を今に引き戻せる人間だけが、自分を変えることができるのだと思った。
そして、その時に出会ったのがフラワーレメディだった。